以下本文
神戸アイライト通信NO.28
発行:2012年12月
- ・2012年後半のアイライト(伊丹市訪問歩行訓練事業開始など)
- ・最近のロービジョン関係の話題
- ・諦めなければ願いはきっと叶う!(魔坂と歩行訓練と私)
- ・アイライトフェア2012開催
- ・ロービジョンルーム リニューアルから半年
- ・編集後記
◆ 2012年後半のアイライト(伊丹市訪問歩行訓練事業開始など)
理事長 森 一成
2012年度も後半になりました。神戸アイライト協会の今年の後半のトピックスとしては伊丹市での訪問歩行訓練事業開始があります。8月に委託契約を結び9月から訪問指導を開始しました。県内では宝塚市、たつの市に次いで本格的な事業です。伊丹の当事者の方々の長年の尽力で実現しました。神戸新聞でも大きく取り上げられました。(関係記事が3ページ)
ロービジョン関係のイベントとして、ロービジョンサポート夏祭り(JRPS兵庫県支部と共催)、神戸ライトサロン、医療関係者対象研修会を開催しました。さらに中山記念会館以外の神戸市内で小規模のロービジョン相談フェアを2回開催予定です。兵庫県眼科医会からもいくつかのイベントでご後援をいただきました。木村元副理事長を振り返るアイライトフェアも多数の方々に参加していただきました。(詳細記事が4、5ページ)
歩行訓練や相談事業をはじめとする当協会の事業が、さらによい事業展開ができるようにスタッフ一同努めていきたいと思います。今後ともご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。
◆ 最近のロービジョン関係の話題
副理事長 山縣祥隆(山縣眼科医院)
急に寒くなりました。いよいよ本格的な冬の到来ですが、お元気でいらっしゃいますか? 今回も「ロービジョン関係の話題」をお届けします。
ロービジョンの分野に限らず、今年の全世界的な話題のトップのひとつは何と言っても、「iPS細胞」を開発した京都大学の山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞でした。ブラウン管から流れる教授の発言の一言一言から、教授のお人柄の誠実さ、研究への熱意と真摯な姿勢が感じられ、感動された方も多かったのではないかと思います。そして視覚に障害を持つ方々にとっては、その「iPS細胞」を網膜疾患の治療へ応用する研究をされている神戸理化学研究所、網膜再生医療研究開発プロジェクト、チームリーダーの高橋政代先生のご研究に注目が集まっています。ロービジョンの領域で注目される網膜の病気は黄斑変性症と網膜色素変性症ですが、高橋先生は、約5年後を目処に、まず黄斑変性症の患者様に対して治療を始められるとのことです。高橋先生にはくれぐれも健康に留意され、研究が順調に進むように祈りましょう。
高橋先生の再生医療の第一歩が、神戸市あるいは兵庫県在住の患者様を対象として行われると思われた他府県の患者様が、何人も神戸市への転居を考えられていると聞きました。テレビにおける山中先生のご発言のように、このような高度な医療技術は、あらゆる面において、慎重にも慎重を重ねてヒトに応用されるべきですので、初めに治療を受けて頂く限られた数の患者様についても、視力、網膜病変の拡がりや進行程度、などのいくつかの条件がつけられるでしょうし、その後に多くの患者様に治療を受けて頂くまでには、その後、ある程度の年数の積み重ねを覚悟しなければなりません。網膜に病気をお持ちのすべての患者様に対して5年後に一斉に治療が始められるわけではありませんので、くれぐれも冷静な対応をお願いしたいと考えています。
諦めなければ願いはきっと叶う!(魔坂と歩行訓練と私)
足立 尚代
人生の中には、上り坂、下り坂、魔坂が在ると聞いていました。魔坂、私の目が見えなくなるなんて、想像もしていませんでした。元々強度の近視の為見る事には、多少の不自由はありました。そんな時に魔坂!が、やって来ました。ショックでした。でも、まだ支えてくれる友人が居る事で、救われていました。私の外出や社会との繋がりが、切れていなかったからです。しかしその友人の突然の死によって、孤独と絶望の闇の中に沈んでしまいました。引きこもりの生活が、始まりました。日々我が身の死を見つめて暮らす世界です。そんな時に、歩行訓練士の先生との出会いがありました。
私は、4年前に兵庫県が事業として行っていた訪問型の訓練を、沢山の人達の尽力によって受けさせて頂いた最後の者です。また伊丹市で、初めて正式な歩行訓練を受けた者になりました。当時の私は、一人で動けず日々死を見つめて苦しみの奈落の底にいました。そんな時に、歩行訓練士の先生との出会いがありました。白杖の持ち方そして振り方を習い、私の頭の中に地図を描いて頂きました。私の命とともに希望の光を当てて頂き仲間の元へも自分で行ける様にもなり、私の行動範囲はどんどん広がりました。でも社会では、歩行訓練、歩行訓練士の存在さえ知らない人の居ること、認知度の低さに驚きました。私は、まだ奈落にいるもう一人の自分探しを初めました。自分が出来る事は、歩行訓練の大切な事、自分の体験を言葉にして伝える事でした。色々と辛く苦い思いもしましたが、今年伊丹市に、念願の訪問型の歩行訓練事業を始めて頂く事となりました。私達の声に、耳を傾け力添えして下さった方々に感謝します。そして今また私が、伊丹市での訪問型歩行訓練を受けさせて頂いています。歩行訓練士の先生が私に話された言葉「諦めなければ願いはきっと叶う!」
歩行訓練士は、当事者の人から何をしたいかを面接の時に、掘り下げて話を聞かれます。歩行訓練士は当事者と同じ場所に立ち刻々と変わる人、自転車の往来を観察してよりリスクのない地図へと変化させ、当事者の頭の中に描きこんでいきます。もちろん注意するところを含めてです。何度も同じルートを歩き身体に感覚を覚えさせていきます。命を守る為に、集中は、すごいものです。沢山の方々に、その存在をぜひ知って頂きたいと願っています。
◆ アイライトフェア2012開催
事務局長 和田 眞由美
11月4日(日曜)、神戸市立葺合文化センターにおいて、スーパーボランティア木村文子さんをふり返るをテーマに「アイライトフェア2012」を開催した。木村文子さんが亡くなってから6年が経過。点訳ボランティアグループ連絡会(点V連)・全国視覚障害者外出支援連絡会(JBOS)・全国視覚障害者インターネット接続支援連絡会(ASV)を立ち上げ、神戸アイライト協会の副理事長としても尽力いただいた。その活動と功績をゆかりの方々の思い出と共にふり返った。
基調講演をいただいた加藤俊和氏(全国視覚障害者情報提供施設協会 参与 サピエ事務局長)は、阪神淡路大震災の支援活動での木村さんの言葉を常に心に留め、東日本大震災において視覚障害被災者の支援活動の中心となって指揮を取られた。「阪神淡路大震災では全国から来られたボランティアをうまくまとめることが難しかった。有難いが、その人達をどうまとめていくのか、しっかり考えないと支援に結びつかない」と木村さんは仰っていた。東日本大震災では視覚障害者の相談支援をする人に限って募集し、ネットワークを通じて歩行訓練士や相談員など日頃より関わっておられる方々が集まり即戦力として動いた。「いろんな情報、視覚障害者用の道具を知らない人がいっぱいいる。ここを見ればわかるようなことできひんか?」という木村さんの思いが今、サピエで実現した。サピエ図書館の「地域・生活情報」では東日本大震災発生後、地域生活情報を毎日新聞社点字毎日が連日更新し発信していた。それを避難所でダウンロードしてお聞きになっている視覚障害者がいらした。「サピエがいろんな方の情報源となっていけば、もっともっと活用の仕方があるかと思う」と加藤氏。
パネルディスカッションではコーディネーターを務めた当協会会長の新阜義弘が木村さんの優秀なところとして、1つめにユーザーという言葉を最初から徹底して使っていたこと。2つめは合理的な考え方。利用者にとって何が大事かということ、合理的にどうするかを基本にしている。3つめとしてリーダーシップ。組織力があって、それを実施。その結果が中山記念会館の活動につながった。この3点をあげた。
根岸則子氏(元日本IBM)は、1988年、IBMの社会貢献事業でパソコンの有効活用、障害者の役に立つよう模索されていたときに、兵庫県下で点訳ボランティアさんをとりまとめておられた点訳ボランティアグループ連絡会の木村さんと出会った。パソコンのパの字も御存知ない木村さんだったが、「ボランティアさんにパソコンを使ってほしい、ネットワークを広げたい」という根岸さんの熱い言葉に躊躇されることなく、翌日には「やります!」との返事。今は当たり前のパソコンだが、当時は電源の入れ方もわからない、マウスもない。木村さん初め、点訳ボランティアの皆さんは一生懸命やってくださった。パソコンで点訳された点字データをホストコンピューターに蓄積、どの図書館からもダウンロードして読むことができるしくみ、現在の「サピエ」に繋がる「てんやく広場」ができあがった。「公的な図書館、ボランティア団体があったが木村さんが中立的にまとめてくださり実現した」とふり返られた。
奈良を中心にガイドボランティアの全国ネットワーク作りに尽力された青木嘉子氏(元歯車の会)は、インターネットを駆使し、歯車の会が10年かけて積み上げて作ったネットワークを活かして、次の時代へと繋げてくださったのが木村さんだったと話された。視覚障害者のひとり旅を支援し、そのコーディネートをメールでおこなう全国視覚障害者外出支援連絡会(JBOS)の始まりであった。
寺田裕子氏(元点V連)からは、1976年、元点字毎日編集長の大野加久二先生との出会いが木村さんの活動の原点であることが語られた。「大野先生からは点字だけでなく、視覚障害者が直面している多くの不自由について教わることができた」「より多くのニーズに応えていくためには1つのグループの活動には限界があることを知り、1983年、兵庫県下全域の点訳グループの連合体である点訳ボランティアグループ連絡会(点V連)を結成しました」と木村さんが書き残された。その後、1988年にIBMの根岸さんとの出会いがあるが、点字毎日に掲載されたことをきっかけに点V連へ点訳依頼が全国から多数寄せられるようになった。「みんなのニーズに応えていくためにはパソコンを使わないととてもできないという風に思われたんじゃないかな」と寺田さん。加藤氏は「私はここまでやったから、あとはアンタらやってや」という木村さんの声が今でも聞こえてくるという。「あの人の真似は出来ません。だけど発想の豊かさを、それぞれできる範囲でやっていくのが大事かなと思う」と結んだ。
フェア開催を前に多方面から御協力を得て、木村さんの思い出を冊子にまとめた。今後もエピソードを集め、木村さんの功績を伝えていく所存である。
◆ ロービジョンルーム リニューアルから半年
歩行訓練士 住吉 葉月
神戸アイライト協会の中山ロービジョンルームがリニューアルオープンして、約半年が経ちました。見えにくさによるお困りごとのご相談や、ルーペや拡大読書器を試していただくなど、中山ロービジョンルームの来訪者数は350名を超え、たくさんの人にご利用いただいています。
見えにくい方、見えない方を対象とした視覚障害者トータルサポート事業を継続していますが、毎日多くの電話相談が寄せられます。また、眼科の診察を受けられた際、眼科医からアイライトをすすめられて、そのまま立ち寄られるという方もいらっしゃいます。
ルーペで文字が読めた、この白杖なら使えそう…「ここに来てよかった」というお言葉をいただけた時は心からうれしく思える瞬間です。その反面、まだまだ一人で、あるいはご家族で悩んでいる方々にいかにして神戸アイライト協会を知っていただき、見えにくさ、見えないことによる困難を少しでも軽くしていただけるかが、私たちの課題です。
トータルサポート事業は現在神戸市から委託されていますが、期限付きという条件のもとで実施している状況です。今後もより多くの方にお気軽にご相談していただける場所として、安定した形態での事業継続を神戸市に交渉し続けています。引き続き皆さまのご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。
☆ルーペ、拡大読書器、便利グッズ、白杖などを展示しています
☆音声パソコン、白杖歩行に関すること ご相談ください
☆ゆっくりとご覧いただくために事前のご予約を承っております
【 編集後記 】
木村文子さんが旅立たれた1年後、待ち望んでおられた中山記念会館が2007年4月にオープン。おかげさまで通所施設、イベント等で多数ご利用をいただいております。何より電話や来所での相談が増え、オープン当初は年584件でしたが、昨年は906件。ゆっくりお話をお聞きして、気持ちの改善、生活の改善に一緒に取り組むには専門相談員、専門の訓練士が必要となってきます。活動の広がりに対してスタッフも増えました。しかし運営資金は比例することなく、今まで以上に厳しい状況です。日頃のご支援に厚く感謝申し上げますとともに、引き続いてのバックアップをどうぞよろしくお願い致します。(和田)
本分終了