以下本文

神戸アイライト通信  NO.26
発行:2011年12月

・中山記念会館に移転して5年目です
・被災者・被災地に私たちは何を学び、何ができるのか
・ロービジョン、最近の話題
・アイライトフェア2011開催
アイライトクッキング さつまいもの蒸しパン
感謝報告

中山記念会館に移転して5年目です

理事長  森 一成

2011年度は中山記念会館に移転して5年目です。神戸ライトセンター(KLC)発足5年目でもあります。会館移転後の5年で協会の活動は多くの人に利用していただくようになりました。移転直後から急増した相談に対応すべく、神戸市にご理解いただき、視覚障害者専門相談事業としてのトータルサポート事業を開始しました。そして通所施設ITハンドファームとして、少しずつですが工賃収入作業(就労継続B型)にも取り組みをはじめました。また神戸ライトセンターとしては中山視覚障害者福祉財団と共催で2012年2月25日に「中山・KLCコンサート」も開催します。
この5年の成果を基礎に、これから次のような取り組みを予定しています。
通所施設に機能訓練を加えて視覚障害リハビリテーションをより充実させる。
・専門相談事業が継続定着し、専門スタッフをさらに充実させる。
・企業や関係団体との連携のもとに、就労継続B型事業の充実をはかる。

2012年3月3日には神戸ライトセンター等でロービジョンサポートフェアを開催します。東日本大震災の視覚障害被災者支援活動としても実施したいと考えています。多くの皆様のご来訪をお待ちしています。

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被災者・被災地に私たちは何を学び、何ができるのか

会長 新阜 義弘

 私は現地(宮城県名取市下増田地区と閖上(ゆりあげ)地区)を訪れた日の感想を日記に書きとめた。
 小さな児童公園の遊具の残骸に触りながら、語りかけてくるものがあった。それは、子供たちの悲しい叫びであり、苦痛のうめきであった。あの日、大地が揺れ、波が逆巻き、とてつもない大きな災害が襲ってきた。あちこちに放置されたままの瓦礫の中からも苦難の始まりを予感させる気配がわかった。無念の人々の阿鼻叫喚が聞えたようにおもえた。そして静寂と憤りを連れてきた。家の形だけがわかる枠だけで、住んでいた人たちの暖かな気持ちに包みこまれていた命の存在を感じることができた。それでよかったと思うしかない。津波の破壊力を見せつけられた。瓦礫の上を通る秋の風にかすかな復興への意志に触れた。それが、残された人々の悲しみをくぐり抜けて輝く光となっていくと信じたい。
 私を閖上に連れて行ってくれた友人は「ここに来る勇気がなかった。保育園の所長をしていた時に、この公園に子供たちをよく連れてきたんだ。だから本当は来たくなかった。」と私を川べりに連れていき、ぼそりと言った。阪神淡路大震災では津波も原発事故もなかった。この二つの災害は、被災者を物心両面において、根こそぎ、混沌に追い詰める。私たちは何を学び、何ができるのかと自問自答すれば、自らをしっかりと守ることを学ぶこと、誰かを助けるために努力することである。地震では圧死しない。津波ではとにかく逃げる。台風や帰宅困難時にはそこに留まる勇気を持つ。どんな災害でもよりよき判断ができるための情報をうまく取れるようにする。誰かを助けるためには直接的にも間接的にも後方支援を徹底したい。体力的にも精神的にもタフでありたい。必ず体験は次の大災害に生かしていく努力が必要である。天災は忘れたころにやってくると寺田寅彦は言っているが、今や地震や豪雨は全国的に常態化している。規模も大きくなっている。視覚障害を持っている人も持たない人も防災については真剣に考える時間を持つべきである。このアイライトフェアがその契機となればと思う。「命」は大切なことは誰でも知っている。それを確信できる時間であった。これからの神戸アイライト協会が担う視覚障害者の二次避難所としての役割をいかに実現させていけるかが課題である。

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ロービジョン、最近の話題

副理事長 山縣祥隆(山縣眼科医院)

皆さん、急に寒くなってきましたが、お元気ですか?
初めは、できるだけ多くの患者さんにロービジョンケアを知って頂くために開発された兵庫県眼科医会発行のリーフレット「つばさ」についてです。前回、約1年間で44名の患者さんが神戸アイライト協会に連絡をして来られたこと、また日本眼科医会が全国版の「つばさ」を計画し始めていると報告しましたが、その実現に向けて本年の6月に第1回の委員会が開催されました。全国版の「つばさ」はリーフレットではなく、インターネットを利用した方法になる可能性が高いのですが、私はその計画を進める前に、各都道府県でロービジョンケアを行っている施設調査が先だと提案し、本年の10月に日本眼科医会から各都道府県の眼科医会に調査の依頼が送られました。この情報が整えば、各都道府県でのロービジョンケアが一歩、進むと考えています。この情報は兵庫県では「兵庫県ロービジョンマップ」としてすでに2005年に発行しており、現在は兵庫県眼科医会と山縣眼科医院のホームページで閲覧し、ダウンロードできます。ただし6年を経ていますので、今年度、改訂版を出す予定です。このように兵庫県のみならず全国的にロービジョンケアを患者さんに宣伝、普及させようとする計画が進んでいるのは大変、喜ばしいことです。
さて次は、眼科でロービジョンケアを行った場合の診療報酬についてです。現在は診療報酬点数が設定されていませんので、視能訓練士さんがたとえ1時間ロービジョンケアを行ったとしても全く病院の収益になりません。収益にならないことを1時間も行うならその時間に他の検査をしなさい、というように、病院がロービジョンケアを行うことを認めてくれない眼科もあり、ロービジョンケアの普及の大きな妨げとなっています。ロービジョンケアの診療報酬化はすでに10年も前から厚労省に向けて要望を繰り返していたのですが、昨年の末、日本ロービジョン学会はその具体案を提出しましたので、もしかすると来年の4月に実現するかも知れません。もし実現すればロービジョンケアの普及が益々、加速されることと期待しています。

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アイライトフェア2011開催

事務局長 和田眞由美

11月3日(木曜)、神戸市立葺合文化センターにおいて、東日本大震災から学ぶ視覚障害サポートをテーマに「アイライトフェア2011」を開催いたしました。
棚橋公郎氏(社会福祉法人 岐阜アソシア)による基調講演では、岐阜アソシアが1891年に岐阜県で発生した濃尾地震における視覚障害被災者の支援として歩んできたことに触れられ、防災への取り組みについて話された。視覚障害者は風・音・揺れが怖く、災害発生時の声かけが違ってくるので、積極的に地域の避難訓練に参加して「消防士への訓練」をしてほしいとのこと。東日本大震災発生後に現地入りし、日本盲人福祉委員会の活動に参加。視覚障害者協会・盲学校・鍼灸マッサージ医院の名簿で1軒1軒に電話をして安否確認をおこない、社会福祉協議会の職員と一緒に避難所へ行き、視覚障害者がいないか尋ねまわった。行政は個人情報保護の観点から名簿の提供をしてもらえなかったが、ようやく宮城県、岩手県で、日本盲人福祉委員会が視覚障害者への支援をおこなっていることを沿岸地域に住む視覚の手帳をお持ちの方へ情報提供していただいた。宮城県では安否確認と希望する支援について400通もの返信ハガキが届いた。何より阪神淡路大震災での教訓が活かされた形となった。災害が起きる前に出来ることをしておくということで、ハザードマップで自分が住んでいるところを知ってく、住宅の耐震診断を受けること、耐震補強をおこなっておくこと、杖・点字器・ラジオなど必要なものは予備を用意しておくことなど提言があった。

 パネルディスカッションでは今後また起きるかもしれない不測の事態に備えて自分たちで出来ること、必要な支援を考えていくことについて話し合われた。阪神淡路大震災発生時、ハビー(阪神大震災視覚障害被災者支援対策本部)を立ち上げ、今回はインタッチ(東日本大震災視覚障害被災者支援ネットワーク)として継続支援に取り組まれている川越利信氏(JBS日本福祉放送)の「安否確認をしていて無力感を感じた」との言葉に今回の震災がいかに大きなものであったのかという衝撃を受けた。インタッチでは情報入手に必要なラジオ(OFFのときも緊急避難速報が流れる)を現在285台配布、あと200台分の予算確保済みで引き続き情報支援をしていくとのこと。
 宇田川真之氏(人と防災未来センター)は震災発生後、翌月曜から宮城県庁入りし、阪神淡路大震災のときはどうだったのかというアドバイスをおこなった。住宅や家具の補強をしておくこと、名簿を持っている行政と支援団体との連携をルール化しておくこと、神戸では津波到達まで1時間あり、日頃から避難方法を確認しておくことなど内海でも津波への備えが必要であると話された。
 当協会理事長の森より、今回の震災でガイドヘルパー派遣が機能しなくなりガイドヘルパー利用者が動けなくなったことに触れ、阪神淡路大震災のとき、生活が変わって歩けなくなった視覚障害者のために各地から来られた歩行訓練士によって仮設住宅で緊急歩行訓練がおこなわれたことが紹介された。歩行訓練士が帰ったあと、地域で歩行訓練事業を実施しようとしたところ受け皿がなく、そのことが神戸アイライト協会設立の経緯になった話があった。また視覚障害者の避難所の必要性について、神戸ライトセンターは施設利用者などの帰宅困難者で手いっぱいになるだろうということと、国立神戸視力障害センター、市と県の盲学校が視覚障害者の福祉避難所になるのが望ましいということが伝えられた。
 棚橋氏からは行政の助けは数日後になる、地域で一緒になって避難する方法を知ること、日頃から自分を知ってもらうようにすることが大切とのお話であった。また実際にAEDを触って使用説明を聞き、使い方を知っていれば、いざというとき指示が出来るということなど、見えなくても出来ることを増やしておくことも大事とのこと。
棚橋さんの話の中に岩手県で伝承されているという『命てんでんこ』という言葉があった。『命てんでんこ』とは、「津波が来たら、取るものも取らず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」。また、自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない、という不文律にもなっているとのこと(ウィキペディア引用)。東北地方の長閑(のどか)な印象とは違って、繰り返し起きてきた津波と共存する厳しさが感じられた。
 当協会会長の新阜より、災害発生時、まず情報入手が必要で、どこに・だれと・どうやって逃げるか?視覚障害者にとっては判断材料を見つけるのが難しい。日頃からいろんなシュミレーションを体験し、自分の身をどうやって守るか?考えておくことが大事で「命あれば何とかなる、何とか命を守る」と阪神淡路大震災で被災した立場からも力強く訴えられた。

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アイライト★クッキング さつまいもの蒸しパン

ホットケーキミックスを使ってできる、簡単おやつの作り方をご紹介。電子レンジを利用して加熱します。

★さつまいもの蒸しパンの材料(2人分)
  ・さつまいも 150グラム
  ・バター 30グラム
  ・砂糖 大さじ5
  ・たまご 1個
  ・牛乳 150cc
  ・ホットケーキミックス 150グラム

★作り方
  1.さつまいもは小さく切って水に取る。
    水気を切り耐熱容器に入れてラップをし、
    電子レンジ500ワットで約3分半加熱する。
    さつまいもがまだ軟らかくなければ、
    30秒単位で加熱を追加する。
  2.さつまいもを熱いうちに木べらなどでざっとつぶす。
    バター・砂糖と混ぜ合わせる。
  3.たまごを加えて良く混ぜ、
    牛乳とホットケーキミックスも加えて混ぜる。
  4.生地を耐熱容器2つに分けて入れ、
    ラップをして500ワットで約6分加熱する。
    しばらくおいて、あら熱が取れてから取り出す。

★ポイント★
  ・レンジの機種によって熱の伝わり方に差が出るので、加熱後、
   生の部分があるようなら、少しずつ加熱をして様子を見ます。
  ・冷めてしまったら、
   レンジで軽くあたため直すとおいしくいただけます。

参考:「ViV シリコンスチーマーでかんたんクッキング!
こどもと作るお料理レシピ」(小川 聖子 著)
(歩行訓練士 住吉葉月)

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【 感謝報告 】

当協会では震災発生翌日から視覚障害関係支援を念頭にした募金活動を始めました。11月20日現在で481,845円の募金をお預かりし、神戸市視力障害者福祉協会と兵庫県視覚障害者福祉協会を通じて日本盲人会連合の視覚障害被災者への配分義援金として10万円、日本盲人福祉委員会の東日本大震災視覚障害者支援対策本部へ30万円、インタッチ(東日本大震災視覚障害被災者支援ネットワーク)へ81,845円をお届しました。 皆様のご協力に感謝申し上げます。引き続き、よろしくお願い致します。(和田)

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