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会報 アイライト通信歩行訓練体験記音声パソコン体験記

ITハンドファームメンバーから「ちょっと、ひとり言」 ~見えない・見えにくい日常からのほのぼのコラム~

ITハンドファーム(自立支援給付就労継続B型施設)通所生は、育ちも年齢も、社会経験も異なります。
“見えない・見えにくい"事がなければ出会うこともなく、各々の世界で過ごしていたはずです。
“見えない・見えにくい"事で、ここまで来る間には、明日も見えずに悩み、苦しみ、葛藤の日々を暮していました。
辛苦を噛みしめつつ、、立ち上がろうと必至に努力を重ねてきた結果、ITハンドファームと出会う事が出来ました。
音声パソコンを知り、ITハンドファームと出会った事で、生き甲斐を見つけ、「ヤッタルデー!」と気持ちを切り替えることが出来るようになり、ファームへの通所日が待ちどおしく、楽しみにしている者たちばかりです。
席を同じくする仲間たちが、各々の思いを書き綴っていますので一読してみて下さい。
通所生のこれまでの活動や思いが、このページを通じて伝われば幸いです。また神戸アイライト協会を知らない方々で“見えない見えにくい"事で困っている人にとっても、私たちの活動が助けの一条の光になればとの思いをこめて!

T.S

ともだち第4号

はじめに

今回は、幼少期・少年少女時代の「遊び」や取って置きの「宝物」などの思い出を寄せて貰いました。
遊び方にも世代の違いを感じさせる内容ですが、無心に遊ぶ童たちからは、戦火の中でも、物がなくとも、自然の中から遊び方を探しだしきて遊び回る姿が浮き彫りになっています。
遊びは想像力を高めて年長者や年少者に揉まれながら、思いやりや労わり敬う事を学び取っていきます。
手足を動かし、体全体を使い、遊んでいる姿をご覧ください。
ITファームでは今年に入り次のような行事を開催しています。
4月7日 須磨浦公園での花見会、5月8日 梅苑酒家での中華ランチ、6月2日 G線での茶会と、通所生の親睦を深めてきています。
行事や「ともだち」を通じて喜びや困っている事を出し合い、少しでも前に進めるように力を寄せ合いましょう。
2015年4月7日 須磨浦公園  

戦争は子供心に今も 【K.Y】

子供のころの思い出、印象深く残っていることは

(1)昭和13年の阪神大水害私 4歳 我家 床上浸水1メートルでした。
叔母の家に1カ月ほど厄介になったのをおぼえています。

(2)戦争中の神戸大空襲当時小学校5年生で縁故疎開していました。
神戸の空襲のときは丸一日燃えていたのか? その夜 東の空一杯に広がった火事 音も聞こえてきました。
その後 何日か経って神戸の家に帰ったんですが、市電 国電 バス、どれも不通だったので馬車の荷台にのせてもらって神戸まで帰りました。
途中 一面瓦礫ばかり、電柱が倒れていてびっくり! 頭の中は 真っ白。
わが家は焼けなかったのですが すぐ疎開先の田舎に帰りました。

(3)遊びは楽しかったのは、疎開先の友達と山の中や自然の中を遊んだこと、 良い思い出になりました。

戦火の中でも童は遊ぶ! 【 T.I 】

物心ついた頃から第二次世界大戦が始まり、小学5年生(10歳)に終戦敗戦?・・・しかもその6ヶ月前に大阪大空襲があり、戦火のなか焼け跡を逃げ惑った事が映画のワンシーンのように思い出される。
右を向いても左をみても(欲しがりません、勝つまでは・・)のスローガンのもと、遊びはおろか勉強もロクロクしなかった。
学校へは教育勅語の暗記と給食(固いコッペパン 味噌汁)のために通っていた。
帰宅後の遊びはもっぱら家の前の道路であった。
警報の合間をぬって何人か集まれば   かくれんぼ 石けりけんぱ 陣取り      ゴム跳び 縄跳び  etc・・・今考えてみると、人数・年齢の制限なく集まりさえすれば 始まりも終わりも自由で、大人たちの視野のなかで歓声を上げて走りまわり、おまけに道具もいらないのだから、当時の世情に合った遊びだったと思う。
それ以後の遊びについては、薪ひろいや 食品となるイナゴ 田螺(タニシ)を取ったり野草を摘んだりが遊びのかわりであった。
もっともお正月には 羽つき トランプ なかでも一番のお気に入り小倉百人一首で兄弟や従兄弟たちと夢中になり、今でも何首かは記憶に残っている。
遠い昔の懐かしい思い出である。

娘心は宝塚歌劇に夢中 【 M.H 】

幼児のときは おじゃみ(お手玉)、おはじき、石けり、かくれんぼ、おじいちゃん おばあちゃんに可愛がられて 甘えたでした。
小学校の高学年は戦争のため遊びはありませんでした。中学、高校のころは宝塚歌劇に夢中でした。宝物は歌劇の雑誌でした。

母の愛は胸中に永遠! 【 N.Y 】

子供の頃の遊びと言う事で色々思い出すけど、うん10年も前の事で中々思い出せなかったけど、何となく思い出した事。
着せ替え人形があったわ。
1枚の紙に人形一人と洋服が何着か印刷されてる紙を切り取り、人形に着せ替えて遊んだ。
今で言うリカちゃん人形かな。
あとおはじきとか、おじゃみ(おてだま)、おじゃみは母が端切れで縫って中に小豆を入れて作ってくれたのを思い出した。
こういった課題のおかげで楽しかった子供の頃や、今は亡き母の思い出が、走馬灯のようになつかしく思い浮かんできました。

60年前の大阪北区 【 S.T 】

(1)幼い頃に、天満の天神さんと造幣局の中間に住み、近くには大川が流れていて、空襲で焼け残った鉄骨の残骸が川沿いに並び、空襲の爪痕がまだ色濃く残っていました。空き地や草むらもあり、そこら中が子供の遊び場になっていました。
今では当時を想像も出来ないビル群の風景に変わっていますが、ちょっとした商店街で、はんこ屋・米屋・電器屋・自転車屋・魚屋・八百屋・化粧品屋・仕立屋・駄菓子屋などが並び、米屋の前に米俵を積んだ荷馬車が止り、その荷馬車を追いかけて線路道まで歓声を上げながら走り廻ったり、野原の虫取り、天神さん裏の映画館(今は天満繁昌亭)もよく行った。
チャンバラごっこ、わら縄で電車ごっこ、ジャングルジムで団地ごっこ(5階建ての団地が立ち始めていた)、釘を使い陣地取り、フラフープも何回まわせるか競争した。ダッコちゃん人形なども懐かしい。

(2)妻の幼い頃は遊び場は墓地で、山あいではそこが一番広く日当たりや眺めも良く、天気の良い時には遠くに太平洋を望む事ができた。
30戸程の山村の中で育ち、バス道までは下ること30分、学校は山向うに見えているのだが谷を越えて30分の通学を中学まで続けた。墓地で近所の子たちと、ままごと、ゴム飛び、メンコ、けんけん、ビー玉遊びを男女の区別なく遊び廻ったと言っていた。

(3)当時は遊び道具なく、そこらにあるものが何でも遊び道具になった。
草・棒切れ・空き缶(当時は貴重品)・荒縄・釘など、子供同士の工夫で遊びには不自由しなかった。

「貝吹き」てナーニ!  【 K.H 】

私は小さな離島で生まれ中学生までそこで過ごしました。ぼうう~と海を眺めて、この海のずっとずっと向こうはどんな世界が広がっているのだろうと想像するのが大好きな無口な子供でした。(六つの口ではないですよ、えへへ)
戸島の写真さてさて、そんな私が友達とよく遊んだのが「貝吹き」と言う遊びです。

「貝吹きしよう」と言うと 先ずは波打ち際に行き、友達と一緒に5mmくらいの白くて小さな色のキレイな巻き貝を拾い集める事から始まります。貝を拾い集めるのも楽しみのひとつです。そしてそれぞれが両手いっぱいに拾ったらテーブルに一塊に置き、順番を決め、順番が来たら大きく息を吐いて貝を吹き散らし、広がった貝を他の貝に指が触れないようにして一つずつ片手でつまみながら拾っていきます。そのままつまむ指の中に貝を握りこみ、そろそろ手の中が一杯になる頃だと判断した所で貝を握ったままでトントンとテーブルをたたき 上がりの合図をし、それで貝がひとつも手から零れ落ちなかったら自分の物になり、ひとつでも零れ落ちたら全部元のテーブルの上に返さなければなりません。拾う時に指が他の貝に触れた時も同様に返さないといけません。

とても細かな作業です。あのポロリと貝が落ちた時の悲鳴と悲しげな顔を見るのも楽しかったですよ。コツは欲張りをせずコツコツと上がりをして順番が来たら貝を吹き拾い集める事なのですが、なかなかその見極めができないのが子供です。あとひとつは拾えると思って貝をつまみポロリと落としてしまうのです。そしてテーブルの上の貝がなくなったら 自分の物になった貝の多さを比べて優位が決まるのです。遊び終えたら貝は海に戻します。
文章にすると遊びの楽しさは上手く伝えられないものですね。「なんじゃこりゃ」と思われた方も多い事でしょうね。
私が生まれた島の写真です。写真の正面に映っている小さな島の辺りが「ふぶしの瀬戸」と呼ばれる 有名な潮の流れが速い所で、時間帯によっては渦を巻いたり潮の境目に何十センチの段差がついたりします。海坊主のお化け話にもでてきます。

野球ゲームから星野ファン! 【 S.F 】

子供の頃によくした遊びといえば、近所の子たちと "かくれんぼ " "ゴムとび " "蝉採り ""おはじき " "あやとり " "秘密基地作り "などなどまた、近くに広場のような所があったので、シロツメクサで冠や首飾りも作りました。
編み方は、2、3才上の子たちから教えてもらいました。そして着せ替え人形でもよく遊びました。バービー人形は大人っぽくて目が印象的なのですが、小学生の私にはちょっと怖いなぁと思ったので、お年玉で親しみやすい顔立ちのタミーちゃんを買ってもらいました。着せ替え人形なので洋服がたくさんほしいところですが、結構高価だったのでお年玉やおこづかいを貯めて買っていました。

ちなみにこの後、店頭にリカちゃんが登場しました。また、雨で外遊びができない日などは、野球ゲームを弟としました。野球とはいえ、家の中でドタバタとするわけではありません。ちょうどその頃、弟が少年野球チームに入り、そこで覚えたゲームだったと思います。
野球にはまったく興味がなかった私だったので、最初の頃は渋々付き合っていました。ゲームには、自由帳、鉛筆、消しゴム2個、ものさし、サイコロと身近にあるものを使っていました。

まず、自由帳の左ページに菱形のフィールドを、右ページにスコアボードを書きます。サイコロの出た数ごとに、ホームラン、ヒット、ストライク、ボール、ファウル、三振と決めていきます。チーム名は、その日の気分で決めます。
チーム名をスコアボードに書き、いよいよプレイボールです。そして自由帳に、
S(ストライク)
B(ボール)
O(アウト)
の数を書いていきます。各ベースを移動するのは、消しゴムです。
このアナログ野球ゲームのおかげで、私は野球のおおまかなルールを覚えることができ、そして高校野球やプロ野球観戦のおもしろさを知るきっかけとなりました。

もうひとつ余談になりますが、先頃ショッピングモールに行ったときのことです。5才の孫が、階段を見て「ジャンケンしよう!」と言ってきました。私は「ひょっとしてあの遊びかな?」と思い、階段に行きました。
ジャンケンは私が見えづらいので、お互いに声に出して言うことにしました。「最初はグー、ジャンケンポン!・・・」とはじまり、    グーはグリコ、チョキはチョコレート、パーはパイナップル と孫が言ったので「おぉ~、私の子供の頃といっしょだぁ!」と思い 嬉しくなりました。昨今、高価なおもちゃやゲームが溢れる中、このシンプルな遊びのひとつが 今も子供たちの間に存在することに ホッとしました。

F1レースに熱中 【 B.K 】

子供の頃好きだったスポーツ、  今回は私が最初にはまって夢中になってテレビで見ていたスポーツについて書きます。そのスポーツとは、F1です。

F1とは、サーキットと呼ばれる1周5KM前後のコースを何十周か走り抜けて、その速さを競う自動車レースのことです。
私が6歳になる1991年にF1を初めて見ました。そしてこのF1が、私が完全に失明する前に自分の目で見た唯一のスポーツです。私はF1の、抜きつ抜かれつの熾烈なドライバーのバトルや、予想外の事故やトラブル、そして超高速のスピードに惹かれたのだと思います。
私が最初に見たレースでは、約300kmを走ってきてぶっちぎりの1位だった車が、最終周にいきなり止まってしまいました。もちろんこのドライバーはリタイアです。私はこんなどんでん返しが起こることにビックリし、興奮しました。
それからは毎レースビデオに録画し、何度も何度も繰り返し見ました。

そんな私にとって最も印象に残っているレースが、1992年にモナコで行われたレースです。この当時、ブラジル人の「アイルトン・セナ」や、イギリス人の「ナイジェル・マンセル」などのドライバーが活躍していました。なかでもセナは、日本で音速の貴公子と呼ばれ、格好良くて鮮やかなレースをする一番の人気者でした。でも私が最も応援していたのはマンセルの方でした。マンセルは外見はおっさんで荒々しいレースをしていましたが、そこが私にはなんとも良かったのでしょう。このレースでマンセルは途中までトップを走っていました。ところが、タイヤに不具合が出たとのことで、交換のために余分な時間を掛けてしまいます。その隙にトップに立ったのがセナでした。それでもマンセルは追い上げて、もうセナは目の前というところまで迫りました。

ここから最後の数周が歴史に残るぐらいのものすごいバトルになります。マンセルは今にもセナを抜けそうなのですが、セナは巧みなテクニックでそれを許しません。さらにモナコでのF1は特殊で、サーキットではなく街の中でレースをします。ですからいつものレースよりも道幅が狭く、そのこともマンセルには不利に働きました。2台の車は今にも接触しそうなほど接近し、最後の最後までバトルを続けます。結果、優勝したのはセナでした。応援していたマンセルは勝てなかったのですが、あまりに素晴らしい最後の数周の映像は今でも私の脳裏に焼きついています。
私にとって、目が見えなくなる前にあのものすごいレースを見られたことが素晴らしい思い出です。ちなみに2000年代初めまではF1を見ていましたが、今は全く興味がありません。興味をなくしてしまうと、以前は格好良く聞こえていたF1カーのエンジン音が、騒音としか思えないのは不思議なものですね。

思い出の品 ネクロスの要塞(ロッテ製菓) 【 A.H 】

えっ何これって思った人のほうが多いでしょう。そうこれは俺が6歳~12歳頃まで売られていた食玩、そうお菓子です。どんなお菓子と言うとお菓子とおまけのおもちゃがついたお菓子で、おまけのおもちゃはゴム材質の人形とパラメイターが書いたカードがついていて、お菓子のほうと言うとチチボーロのようなものにチョコをコーティングしたお菓子で当時の価格は1個100円、ビックリマンシールが1個30円、価格だけ見たらお高いお菓子に見えますねぇ! 当時の子供が集めると言ったらビックリマンシールか、このネクロス、俺はどっちも集めていましたけど俺はネクロス派、でも世の中の子供はビックリマンシール派がほとんどでしたねぇ! 少し大雑把にわけて書いてしまいましたけど、当時の子供の集めていたものはもう少し細分化されますのでそこは簡略しましたので突っ込みはしないでください(TT)

このネクロスと言うお菓子は集めれば集めるほどボードRPGができると言うもので、今ではTVゲームではよくよく当たり前になったジャンルですけど、当時ではRPGはボードRPGが当たり前だったんですけど当時の俺の子供の頃は集めるのが主流で、あまりボードRPGとして遊んだ記憶はないですねぇ!そう中々集まるもんでもないですし、遊ぶためにペンやら紙やらサイコロを用意しないといけませんから、おのずと人形を見せ合ってトレードしたりが主流になっていました。まーこれはビックリマンシールにも言えることですけど・・・。

でもこのお菓子は馬鹿にできないクオリティだったんですよ。ストーリーと設定も今風の西洋ファンタジーでありながら東洋テイストもあり、ほんといいとこどりでモンスターはいるは、妖怪はいるは、天使はいるは、忍者はいるは、ロボもいるはでほんといい所取りのゴッチャ煮がほんといい感じだった。あと 人形のクオリティもよく、消しゴムのような材質なのにけっこう造詣も当時では高い表現力で、5cmぐらいの大きさであれだけのことをして、温度で人形の色が変わるなんて子供心に火をつけずにいられません。そう集めずにはいられませんでした。

でも流行には勝てなかったんでしょうねぇ、そうビックリマンもそうでしたけど、ずっと人気を維持し続けるのは難しかった。でもいい思い出にはなっています。でもお菓子と言うのはなんやかんやで復刻されることが多いから、いつの日か巡り合う日があるかもと思ってもいます。そうその日がきたらどんな気持で思い出を楽しむんでしょうねぇ! 俺は。


友達第1号~第3号

ITファームに通い一年が過ぎた Mr.B

今年2014年の、身の回りの出来事と世の中の話題の中から、個人的に印象に残ったことを思い起こしてみました。

1. アイライト協会のITファームに通い始めたこと

私にとって今年一番の変化は、なんと言ってもこれでしょう。ここ数年間、一人で出かける機会は少なく、たまの用事を片付けたり友人と会うときぐらいしかありませんでした。定期的に一人で出かけられる場所がほしい、家族以外の人と過ごす時間をもう少し増やしたいと思って、通所することを決めました。今では、家以外にも居場所があるということが私自身の気持ちをより穏やかで前向きにしてくれていると感じています。
また、ITファームのミニ講習の講師をする機会をいただきました。自分では何気なく行っているパソコン操作でも、その手順を文書化し、説明することの難しさを実感しています。ですが、少しでも向上できるように、来年も頑張りたいと考えています。

2. iPad購入

iPadはタッチパネルに触れて操作するデバイスですので、私でも使いこなせるだろうかと、購入するまでにかなり悩みました。視覚障害者向けのスマートフォン・タブレット情報をネット上で随分探し回り、参考にしました。結果的に、今は購入して良かったと思っています。私のパソコンはデスクトップなので、ネット閲覧も動画視聴も机に向かわなければできませんでした。
ですがiPadなら、家中どこでも、どんな体勢でも使用できるので、ありがたいです。まだまだiPadの能力を十分に活かしきれていないでしょうから、もっと便利に使って、日常生活に役立てていきたいと思います。

3. テニスの錦織圭選手大活躍

私は、スポーツをテレビ観戦するのが大好きです。今は視聴する番組の多くがスポーツ中継と海外ドラマという感じです。その中でも、ここ数年特にテニス観戦を楽しんでいます。ということで、今年の錦織選手の活躍は素晴らしく、大変楽しませてもらいました。また、世の中でこんなにもテニスが話題になったことには、とても驚きました。盛り上がりがちょっといき過ぎなのでは?と感じることもありました。たとえば、おばさまがたが「ジョコビッチが…」、「ラオニッチが…」と話しているのを聞いたときには「なんでそんな選手の名前まで知ってるの?!」と言ってしまいそうになりました。来年もテニスをはじめ、いろんなスポーツを見て、楽しんでいきたいと思います。


一膳の箸の温もりが Mr.I

1.今年右足の手術をする

右足の甲が小指のほうに傾いて(足の裏が左足のほうに向いて)5年、段々装具も合わなくなってきており小指側の側面に骨が出張ってきています。
このため装具にいつもその周りが当たりキズができては直り、を繰り返しています。病院へ行くと歩行制限が出て出歩くこともできず困っています。このまま放っておくといつまでも通所できなく、さらに足首から骨が曲がってしまい、いづれは大手術をしなければならないらしいということです。
そこで12月に足の甲を真っ直ぐにする手術をすることにしました。あまり例がない、大学病院では2人目の手術だそうです。治るまでかなり時間がかかるということです。
また引き続き長期お休みをします。これで治ればアイライトには休まず通所することができるようになるかな?

2.娘が二十歳になったこと&私のお膳に箸を置いてくれたこと

娘が生まれて20年になりました。娘と誕生日が一緒です。
小さい頃には、ディズニーランド、ハーモニーランド、レオマワールド等いろんなところへ連れて行ってやり、また入学式や授業参観、卒業式にも行ったりしました。もちろん写真もたくさん撮りました。
先日、娘と家内が二十歳の着物撮影会へ行ってきました。そして先日、撮影した写真のDVDが届きました。
私の目が見えなくなり始めたのは7年余前からで、娘の顔をマジマジと見ることもできず、どんなになっているのか楽しみにしていました。
そこには、ずいぶん大人になった娘の顔がありました。親バカでありますが、十分自慢できるような姿で写っていました。
娘には内緒で画像をパソコンに取り込んで壁紙やスライドショーでこっそり楽しんでいます。
娘が私を嫌いだしたのは高校生くらいのころからで、挨拶もしてくれない、呼びかけても無視をしてしまい、弟とも口も利かなく、もう数年が経ちました。
ある土曜日の昼食時、娘が私のお膳に箸を置いてくれました(無言だったけど)。あんなに私を無視していたのに・・・。パッと周りが明るくなったようでした。二十歳になると少し変わってきたかなと思いました。でも今でも朝の挨拶をしても無視はされるけど。まだまだ寂しい・・・。

3.アイライトに通い始めて9月で1年が経過した

アイライトに通い始めて9月で早1年が過ぎました。
休みがちの1年でしたけどとりあえず。
講習会や中山ワンダフルフェスタなどいろんな企画があり、楽しかったです。
ここへ来ると、パソコンもですけどいろんな情報が入ってくるので話を聞いているだけでもためになるのでいいです。
通所することで少しでも歩くという運動にもなります。(今は歩けませんけど)これからまた長期の休みに入りますが、通所できるまではMailでの参加(通所)です。


三大ニュース ミスターX

身の回りであったアイライト出来事編
1. 2014年10月24日、雲中小学校前西側交差点の音響信号が稼動開始

2014年10月24日、雲中小学校前西側交差点の音響信号が稼動してくれたおかげでアイライトに通うのがこれほど安全で楽になるとは思いもしなかったと思うぐらいだ、まー本当ならもっと早くと思うけどそれはしかたないことなのだろうが、これのおかげで視覚障害者だけではなく普通の人や他の障害がある人たちも安全で無事に渡ることができると言うことがなによりうれしいことだ。

2. ミスターX、歩行訓練士スーちゃんとの街歩きコラム♪で、スーちゃんと対談する

ただ対談しただけの話なんだが、まぁ過去の対談シリーズがよかっただけにこの対談はお蔵いきか?対談リテイクか?の2つの選択しかない状態だろう、多分。これを書いている時点ではアイライトのホームページにはあがってはいないみたいだから、やはりミスターXの内容がない内容がまずかったと言うしかないだろう、そうお蔵いき決定!(o)← ご心配なく、公開されていますよ(すーちゃんより) 対談はこちら

3. コペンハーゲン ホットドック、予想以上のうまさに脱帽

そうこれはミスターXが駄々をこねたせいでAさんがあわ食った話である、そうAさんの善意がなかったら生まれないニュースだ。
でもその善意でうまいホットドックが食べれたのである、あぁー本当にうまいホットドックだコペンハーゲンホットドックは。
有名なのは納得できる、あぁーこれも全部スタッフのAさんのおかげです、Aさん どうもありがとうございます、次もよろしくね♪ (^O^)

衝撃的な便利道具編

1.CITIZEN (シチズン) 目覚し時計 パルデジットガイド 電波時計 トラベラー 音声ガイド 8RZ109-019

まずはこれは音声時計です。一般販売されているものなので視覚障碍者の補助などの恩恵はないですが、構造やら使い方を特価したら非常に使いやすい音声時計です。
俺は音声で時刻を聞けたらと言うぐらいの使い方しかしていませんが、設定をしたらアラームなどの色々な機能はあります。
この音声時計のいい所はコンパクトさにあります。
そうこの時計は旅行などのため持ち歩くことを想定された時計なので手のひらサイズの大きさで本当にコンパクトです。
でもそのコンパクトの長所が仇となり、音量調整ができないと言う短所はあります。
俺はこの時計を壁に貼り付けて使用しています。価格は3千円前後で、ネットでは1,900円で販売している所もありました。
俺はネットのamazonで買ったので1,900円で買いました。

2.アイペン(G-Talk)

これは視覚障碍者補助道具で有名なタッチメモに似た道具です。特殊なシールにペンをタッチして記録した音声を聞く道具です。
これは普通に一般販売されている教材道具で視覚障碍者専用道具ではないので価格の安さ、入手するのも多種多様な選択があるので色んな意味で魅力的な商品です。
この商品のいい所は、本体に音声を記録させるのも当然ながら、マイクロSDカードを本体に内蔵できるので、本体音声だけではなく、マイクロSDを使用して管理などの応用方法の高さがこの商品のいい所です。
だからシンプルに音声を記録して使うのもいいし、管理して色んな自分に合った使い方もいいななんて、この応用能力の高さは脱帽です。
短所としては一般販売商品なので説明書なり応用能力高さが仇となり、わかりづらさが弱点となっていると思います。
基本的価格はピンからキリなので価格は書きませんが、販売されている有名所は書いておきます。
日本点字図書館でも購入できますし、ネットのamazonでも検索し購入もできます。
amazonでは音声ペン、アイペンか、音声ペン、G-Talkで検索されるとでてくる確率が高いです。

3.Uni-Voice(ユニボイス)

これはタブレットやスマートフォンで使うアプリの名前です。
端的に言えばタブレットやスマフォで使うソフトの名前でどんなソフトかと言われたら年金や公共の郵便に送られてきた葉書についている音声コードを読み込み読んでくれるソフトです。
今まででしたら補助がでている音声読み取り装置でしか読むことができなかった音声コードをタブレットやスマフォで読ませることができると言うものです。
これのおかげであの場所をとる音声読み取り装置がいらなくなると言う事です。
でも便利なのはいいのですが、まだまだ問題はあります。
その1つにこのソフトはまだ書いている時点ではまだアップル製品のみのソフトしかないことです。
もしかしたらこれを読んでいる時点では他のタブレットやスマフォに対応するようになっているかもしれませんが・・・。
それ以外にももう1つの短所としてはコードを読ませるためにはカメラが必要になりますのでカメラがないタブレットやスマフォではこのソフトを使うことができないことです。
まーそれを十分に考えてもこれからの電子機器の進化はめまぐるしいので新しく用意する分には問題はないと思います。


歴史は語る Ms.K

プレクストークで聞くことにはまっています。
今、「徳川家康(山岡宗八著)」を聞いています。26巻の長編ですが話は興味深く、次はどうなるか気になるんです。
例えば関ヶ原の戦いの後、大阪城で淀の方と秀吉の一粒種の秀頼親子の仲は良いと思っていましたが、さにあらず、秀頼は母の淀の方をうらんでいました。
又、秀吉の貯めていた黄金が出て質素を旨とする家康は、戦いをなくして日本を平和にするという事にこの金を使うながい話、たのしんでいます。


ミセス郁子のちょっとひとり言

「私のお城"サピエ"ダヨ!」
サピエ図書館と出会えて良かった!
今これに夢中です。丸ごと図書館が我が家へやってきたようです。毎日発刊される本の数にも驚きました。
ジャンルも多様新しい情報を知るワクワク感はたまりません。
その上シネマデイジーが充実してきたのも魅力的です。
開幕のベルで始まり、劇場そのままのサウンドをバックに的確な表現力で動きが語られます。臨場感100点満点です。お陰様で空虚な時間の隙間が埋ってしまいました。
私の側には10年ほど前から、1ページも開かれず、つん読?ほんがあります。
捨てる訳にもゆかず、切ないおもいでしたがこれからはサピエで読み終えたら1冊ずつ、埃を払って本箱に飾ってやります。
何時でも好きな本が読め映画を観ることが出来るこんな贅沢が許されていいのかしら・・・・・フトそんな事が気になる今日この頃です。


ミスターAの「これは便利だ、商品2点、教えちゃう」

1 カーメイト(CARMATE) すべり止めシート ブラック S SZ59
【説明】
これは商品名通りすべり止めシートです。本来の使用は車のダッシュボードにひいて使うのが本来の使用方なのでしょうけど、この商品の応用能力はなかなかのものです、机の上にひいて自分が固定させたいものがかなり強力に固定され、なおかつシートには接着材が引いているわけではないのでベタベタせず、扱いが簡単で使いやすいものです。でもこれは何にでもひっつくものではないので一長一短な部分はありますけど・・・。
大きさはCDプラケースを一回り大きくしたぐらいのサイズです、同じものでサイズが大きいものもあります。粘着力が強いものがいいのでしたら別商品でカーメイト(CARMATE) すべり止めシート 激ピタッシートS SZ110という商品もあります。
俺もこれも使用していまして、これは机ではなく壁にはりつけて携帯やら色々と貼り付けて使用しています。
2品とも基本的な金額は400円~600円の間ぐらいの品です。
サイズ違いはもう少し金額がはるので600円~1000円前後です。

2 LOGICOOL ステレオスピーカー Z120BW
(商品基本情報)
外形寸法・重量 : (幅)88mm x (奥行)90mm x (高)110mm / 248g
入力端子 : 3.5mmステレオミニジャック x1
【説明】
これはUSB接続で使うポータブルパソコンスピーカーです、なので従来は普通にUSB端子をパソコンにつなげて簡単に使えるスピーカーです、でもこのスピーカーはUSB端子だけではなくイヤホン端子もついているのでパソコンだけではなく他の使い方もできると言うことです。
俺はパソコンではなく別の用途で使用しています。ジャックイヤホン端子だけをつなげたら使えるか? と言われたら無理です、このスピーカーはUSB端子を使い給電される品なのでパソコンか他のUSB給電できる道具を使用して使わないと使用することはできません、しかしこのスピーカーはポータブルなのでコンパクトで音も値段の割にいい音を出しますし、イヤホン端子がついていることでさきほど書いたことをクリアできたら使用する幅が広い所がこの品のいい所です。
まぁ普通のポータブルスピーカーと比べたら一長一短はありますけど・・・。
物は2つで一対のスピーカーでサイズはだいたいソフトボールぐらいです、でも俺の主観的な表現なので正確性は何とも言えませんが・・・。
片方のスピーカーにつまみがついていてつまみを回すことで電源オフ、オンができ、つまみを時計回りに回すことで音量を調整することができます。
金額は俺が買った時は1500円前後でした。


Iさんのイチオシ!

「フォトミックAとの出会い」
「私の一押し」は、かなり古いのですがカメラの「ニコンF2フォトミックA」です。
このカメラの登場は1977年。発売から37年経っています。
ニコンのフラッグシップ機(主力カメラ)でありプロ用カメラとして絶対的な位置にありました。
マニュアルフォーカス一眼レフカメラなので手動で操作しなければならなく邪魔くさいです。
現在はデジタルカメラが主流でシャッターを押すだけで写真が撮れるので時代遅れといわれるが・・・。今まで小さいですが2回「賞」をとっています。
まぁ、現在の感覚から言えば使って使いやすい、人に優しい機械ではないですよ。なにしろ、でかいし重いしごついですから(笑)。
古い中古カメラなのに良く出来ています。
リバーサルフィルム用のカメラとして風景写真にモータードライブを装着して酷使していました。家庭はもちろん、国内、海外へといつも私の目としてこのカメラを持って回りました。
今は目に障害があるので使うことはありませんが家に大事に保管してあります。
(持っているだけの自慢になってしまったか?)


本分終了